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プロフィール
年齢
20代前半
趣味・好きな事
料理・読書・カフェ巡り・書道
性格
やや人見知り、少々自分にも相手にも厳しい部分もあります。
自己紹介
小学校
人見知りがありつつも、吹奏楽部に入部。多分、トランペットを吹いていました。
幼いころから両親が共働きのため、おばあちゃんのところに行くことが増えていき
このころから、おばあちゃん子になりました。
中学校
吹奏楽部に入部、担当はフルート。
女ばかりで、たびたびもめごとがある中でも、音楽が好きな気持ちは変わらず
なんとか3年間やり遂げる。
高校はどこでもいいや、と思い地元の公立高校を決心。
高校
部活は変わらずの、吹奏楽部へ入部。
しかし、希望であったフルートは出来ずにアルトサックスで1年間過ごし、
のちにフルートの担当になれる。
バイトは、部活がある程度落ち着いてからコンビニのバイトを始める。
卒業後への進路は、料理の道を希望しその後、専門学校へ入学。
専門学校
一年生の、調理師専門学校へ試験を合格し無事に入学。
和食・中華・西洋の包丁の研ぎ方から、一から基礎を学ぶ。
クラブなどもあり、そこでは製菓を学ぶ。
また、車もほしかったため、掛け持ちのバイトを日々を繰り返しながら一年間を過ごし
卒業と同時に、調理師免許をもらい、その前に試験を受けた食育インストラクターも合格。
就職(1社目)
昔から行きたいと思っていた、地元のレストランに就職。
キッチンの人は、男性しかいなかったが前菜やピザ、デザートを学び
時には、サービスをしながら仕事に励む。
しかし、他の店舗で食中毒が起き、会社都合で辞めざるおえない状況になり退職。
就職(2社目)
百貨店などの大きい建物の中にある、飲食店のフレンチレストランに就職。
一つ一つが、テナントのため最初はサービスとして仕事する。
ワインの提供の仕方や、初めての新人教育などもやり始める。
数か月後、やはり調理がしたくて自分の意向を伝えて自己退社をする。
就職(3社目)
初めて、結婚式場にて仕事を始める。
ここでは、中途採用ということもあり雇用形態がパートでスタートする。
入社して、約2年後に左脚に違和感を覚え始めて病院にいくと
ヘルニアを発症していることを医師から告げられる。
このままでは悪化し続けると話されて、
コルセットや理学療法士専門の整体に、半年から1年ほどかけて行き
仕事をしても長時間しなければ、体が維持できるようにまで回復はしたが、
このまま続けていても、経済面や将来性、自分への成長など様々な面で
葛藤が生まれ始め、一度は退社を試みるも当時にシェフに反対をされて
断念し、もう一度頑張ろうと決心をする。
そして、当時のシェフの移動が確定し、職場の環境も変わり始め
同時に自分自身のこれからを考え直すようになり金銭面を考え、掛け持ちの仕事を始める。
自分の時間を作るにつれて、今まで逃げてきた自分との葛藤の気持ちと初めて向き合い
今後の自分のことや、苦労をかけた母に少しでも支えになれるようにと気持ちが固まった。
しかし、ことは思うようには進まず、退社ではなく、違う事業所などの移動の話もされ
自分の気持ちに、揺らいだが自己退社を申し出て退社の受理が下りる。
私は好きな事を仕事にしていたため、やはり自分の気持ちの整理がつかず
前に進むことへの勇気も持てなくて、一度は自分自身から逃げました。
そんな私が、やっと気持ちの整理がついたきっかけは、
ある身体障害者の方の言葉でした。
その言葉が、
無いものをねだるより有るものを大切にする、とその言葉でした。
健康な体であれば、きっとこんなにも悩まずに好きなことをし続けられるでしょう。
ですが、現在この体になった今自分に残っているものを大切にしなくてはいけないと思うようにならないと思ったのです。
そして、元々料理を作り、人に食べてもらい喜んでもらうのが好きでした。
その気持ちは、今でも持っているのでこの気持ちを自分にとって大切な人へ向け
その人が美味しいと喜んでもらえるような料理を作ろうと、考え方を変えました。
もちろん、料理の勉強は変わらずしています。
時に、思うように作れず失敗もします。
ですが大切なのは、今ある現実ばかりでなく、将来を見つめ直したときに
なにが一番あなたにとって必要な仕事や、今後のスキルなのかを考えてみてほしいです。
そして、私のように仕事で体を一度壊してしまった人には、
残っている身体と、その気持ちを大切にしてほしいです。